ドー・ティ・ミン・フオン
信頼性の高いメディアを通して在日ベトナム人のイメージアップを図りたい ベトナム国営テレビの日本支局レポーター「ホントティーヴィー」創立者 ドー・ティ・ミン・フオン ベトナム国営テレビ(VTV)の日本語番組で編集者・アナウンサーを務めるドー・ティ・ミン・フオンさん(活動名メイ・フオン/Mei Phuong)は日本に移住後、メディア分野への情熱と豊富な実務経験を活かして、在日ベトナム人向けメディア「ホントティーヴィー」を立ち上げた。日本でのメディア活動について話を聞いた。 フオンさんは、日越関係がより身近なものになることを望んでいる。 「外交において日本とベトナムは長い間良好な関係を保っている一方で、多くの日本人はベトナムを名前でしか知りません。日本の基本知識が不足しているベトナム人も多いです。マクロ的な側面だけでなく、ベトナムと日本それぞれの個人がお互いの文化や性格などを真に理解できるようになることを望んでいます」 そのためには、双方のメディアだけでなく、日本に来たことのあるベトナム人や、ベトナムに行ったことのある日本人など、草の根レベルでそれぞれが情報を発信することが大切だと考える。 「日越外交関係樹立50周年は、両国にとってより実りのある関係を築いていくために、労働制度の改善や入国審査の緩和などを行う非常に良い機会だと思います」 ハノイ大学日本語学部を卒業。2013年からベトナム国営テレビ(VTV)の日本語番組『ジャパンリンク』で編集・アナウンサーを担当し、2021年から同局の日本支局レポーターを務める。同年にベトナム・日本総合情報チャンネル「ホントティーヴィー/HONTO TV」を設立、在日ベトナム人向けに記事、動画、ルポルタージュなどを通して情報を発信している。
国本 和基(くにもと かずき)
日越が手を取り合い世界に通じるITプロダクトの創出を目指す フリクラシー/代表取締役 国本 和基(くにもと かずき) 経済発展と国際化が進むベトナムにおいて、人的資源の効果的な管理や活用は企業の命題といえる。そこでSNSやAIなど先端のデジタル技術を取り入れ、エンジニアを中心とした東南アジアの高度人材と企業を繋ぐマッチングプラットフォーム「freeC/フリーシー」で企業課題の解決を目指す「フリクラシー/freecracy」代表の国本和基さんに、ベトナムへの想いを尋ねた。 幸せの意味を教えてくれたベトナム信頼を寄せる頼もしいパートナーも ベトナムとの出会いは駐在員としての赴任。車や家を用意され快適な環境ではあったが、多忙な日々を過ごしていた。そんなある日、ふと車窓から街の様子に目をやると、そこには経済的に裕福でなくとも仲睦まじい多くの家族の姿が。その光景に日本と異なる幸福度の高さを感じたという。「一生懸命に働くことは良いこと。ただ、自分の生活も楽しみ、幸せを貪欲に求めても良いと教えられた気がしました」 ベトナムに魅了された国本さんは、日本への帰国命令を断りベトナムで独立を果たす。数社の立ち上げを経て、2018年にHRテック事業を手がける「フリクラシー」を設立。その後、2019年にローンチした「フリーシー/FreeC」は、今や求職者数55万人、求人企業2万5000社を誇るまでに成長した。 「ベトナムにはコンピュータサイエンスを学んだ高いスキルや知識を持つエンジニアが豊富にいます。腕一本で食べていく気概を持つ方も多く、そうした人々が国内・国外問わず働けるチャンスを創出できればと思っています」 設立当初は3人ほどだった社員も今では約130人に。しかし、採用プラットフォームを運営しながらも、自社の採用には苦労が絶えなかった。 「特にマネージャーレベルの採用は国民の平均年齢の低さから母数が少ないこともあり、本当に難しい。そんな時に助けてくれたのが社員です。口コミなど彼らが呼び水となり、最近は良い人を採れるようになりました。ただ、そのためにはまず彼らからの信頼が必要ということも学びました。明確な会社の方針、高い透明性、言動の一致。代表である私自身が人一倍、彼らに寄り添うことが大切なんです」 採用したメンバーの中には現在、CTO兼COOとして活躍し全幅の信頼を寄せる人物もいる。「互いに全てを言葉にし寄り添うことで、今では日本人でもこれほど分かり合える人はいないと思える程のパートナーになっています」 人との触れ合いが作る社会独立した個から社会の一員に [...]
レ・クアン・フイ
日本から学んだことを生かしてベトナムと日本の発展に貢献したい 化学工学博士、シーカベトナム社/プロジェクトマネジャー レ・クアン・フイ 日本語学部で教鞭を執る母親の影響で、レ・クアン・フイさんは幼い頃から日本語と日本文化に触れて育った。イギリス留学を経て日本で化学工学博士となりベトナムに帰国した現在、日本で得た仕事と生活の知識がそのまま自分の成長に役立ったと話す。 日本語を教えていた母が繋いでくれた日本との縁 ベトナム国家大学ハノイ校外国語大学の準教授として日本語・日本文化を教えていたフイさんの母親は、フイさんが6歳と8歳のときの2度、息子を連れて日本を訪れた。これがフイさんに日本との最初の縁だった。 「日本との縁は自然に生まれたものでした。自宅で日本人学生のホームステイを受け入れることも多かったので、日本人と日本文化にはとても馴染みがあります」 17歳から故郷を遠く離れたイギリスに留学して修士号を取得したフイさん。家族との距離をできるだけ縮めつつ自分の専門を極めたいという想いから、これまで縁のあった日本で博士号を取得するために2015年に東京工業大学博士課程に入学した。 「アジアの文化圏に再び戻れたことがとても嬉しかったですね。日本での生活はとても便利で快適な一方で、伝統的な文化も多く残っているのが印象的でした。日本で大学に通ったり働いたりした6年の間に身に着いた日本の習慣は、いつの間にか自分の一部になっていきました」 コロナ禍の2021年にベトナムに帰国し、現在はハノイにあるスイス系の建設資材会社でプロジェクトマネジャーを務めている。 「会社でも『ありがとうございます』などの感謝の言葉をよく使っているので、欧米人の上司に『日本人みたいだね』と言われています(笑)」 日本式の規律性は研究者にとって必要なもの 日本の大学院では、高水準の研究環境が整っていた。正確さと細心の注意が求められる環境で、フイさんは規律性を身につけたと話す。 「アカデミックな研究において、正確さはとても大切です。日本の大学院では、プロジェクト管理について多くを学びました。研究や仕事全般において、日本人が作成した非常に緻密な手順や厳格な規定をきちんと守れば、正確な結果が期待できます」 [...]
松本 一樹(まつもと かずき)
在住者目線で日本の若い人たちにベトナムのおもしろさを届けたい ユーチューバー 松本 一樹(まつもと かずき) 堪能なベトナム語で繰り広げるYouTubeチャンネル『旅するフォー』で人気のYouTuber松本一樹さん。街で声をかけた人たちとの会話や、他のYouTuberとの共同企画などで人気を呼び、現在チャンネル登録者数は11万人を超える。ベトナムに行こうと決めたきっかけは、韓国で食べた1杯のフォーだった。 独学で習得したベトナム語で道行く人に声をかける 専門学校を卒業してからずっとフリーターとしてリゾートや農園でアルバイトをし、その後は旅行に出ていた松本さん。ワーキングホリデーで韓国にいた時に、ベトナム語が流暢な韓国人女性と知り合ったことがベトナム行きのきっかけとなった。 「彼女のお父さんがハノイでホテルを経営しているという話題から、はじめてベトナム料理店に行きフォーを食べました。それが美味しくて、2015年にハノイへ旅行に行ったんです」 ハノイではずっとフォーを食べていたという松本さんは、現地の人と交流するために歩道橋の上で「ベトナム語を教えてください」と書いたスケッチブックを広げてみた。 「大学が多いエリアだったこともあり、学生たちが次々と話しかけてくれて。フレンドリーだなと思いました」 日本に帰国後、やはり1回ベトナムに住んでみようと思い2017年に再びハノイへ。日系の飲食店で働きながら、ベトナム語の勉強と動画づくりを始めた。 「ベトナム語は1ヶ月だけ学校にいきましたが、あとは友達に聞いたり言語交換アプリを使っての独学です。動画を始めたのは出勤前に『これからは動画の時代が来る!』というネット記事を見て、軽い気持ちで始めました」 最初はとくにテーマもなく、「日本人男性の特徴とは」「ベトナム人女性をどう思うか」のような内容をベトナム語で発信。『アンカリルーム/aNcari [...]
グエン・フー・マイン・コイ
工学の勉強から音楽の世界へ在日ベトナム人の想いを音楽にのせて届けたい コイメディア創立者、黒ック/リーダー&ギタリスト グエン・フー・マイン・コイ 2020年10月にデビューした日越ロックバンド「黒ック/KURROCK」でリーダーとギタリストを務めるグエン・フー・マイン・コイ(KJO)さん。工学を学ぶ留学生として来日し、幼い頃から親しんだ音楽で卒業後は日本で起業しながらプロのミュージシャンとしても活躍。異色のキャリアに注目が集まっている。 イベントに汗流した学生時代日本で起業、プロの音楽家に 物質工学の勉強のため2009年に留学生として日本へ来たコイさんは、5歳からピアノを習ってきた大の音楽好きだ。大学ではピアノクラブに所属した。「とくにライブコンサートを開催した時のことが印象に残っています。なにせ広報企画から会場設営、チラシ配りまで、学生とは思えないほどのプロ意識を持ってやり抜く。そんな部活動のおかげで多くのことが学べました」そのほか、学生時代には、在日ベトナム学生青年協会(VYSA)にも参加。副会長として日越文化・音楽交流イベントの広報や制作を担当するうちに、音楽イベントに関わる仕事で生計を立てたいと思うようになった。「日本にはベトナム人によるイベント会社がなかったので、大学卒業後の2017年に、画像や音楽、デジタル・コンテンツを制作、プロデュースし、イベントも手がける会社『コイメディア/KOI MEDIA』を立ち上げたんです。ベトナムのミュージック・シーンを代表する歌手のカイン・リー(Khanh Ly)さんやホン・ニュン(Hong Nhung)さんが来日した時は、通訳や公演の企画のほか、ピアノの伴奏もさせてもらいました」“日本初”の日越ロックバンド「黒ック」も2020年10月に活動をスタートさせた。メンバー構成はベトナム人5人と日本人1人で、リーダーのコイさんはギターを担当。在日ベトナム人の声をベトナム語と日本語の歌詞にのせて届け、互いの文化に対する関心を高めていきたいと思っている。「日本で暮らすようになったことで、私のキャリアは完全に変わりました。日本に来ていなかったら、おそらくエンジニアか教師になり、私にとっての音楽は仕事ではなく趣味で終わっていたでしょう」 大変な時に支えてくれた日本人「時間と誠意」で信頼関係築く 「黒ック」はデビューしたものの、日本での行政手続きは複雑で、外国人バンドという存在自体に違和感を持たれてしまうことも多い。一方で支えてくれる日本人も少なくなかった。ファンが公演スケジュールについて助言してくれたり、デザイナーや小説家、ジャーナリストなどのプロたちがミュージックビデオの作成や歌詞の編集、バンドのプロフィール紹介を手伝ってくれた。「自分の音楽がやっと形になり、多くはないものの一定の日本人が受け入れてくれたのです。すべての公演を見に来てくれた方もいて、本当にありがたかったです」日本人と親しくなるには信頼関係が非常に大切で、そのためには時間と誠意が必要だとコイさんは話す。その一例が黒ックで唯一の日本人メンバーでドラム歴22年のダイスケさんだ。最初は遠慮がちに接していたが時間をかけて連絡を取り合い、いろんな話をするようになった。「ある時、黒ックのドラマーを探してほしいと彼に相談したら、意外にも彼自身が手を挙げてくれました。そんなに親しかったわけではないのに、これまでの会話から自分の情熱を追求する私のやり方に共感し、信じてくれたのです」 音楽でベトナムと日本を繋ぐ日本人の心開かせるためにも コイさんは法律や制度だけでなく、文化や精神的な面でも、日本人がベトナムや他国に対してより“心を開く”ことを望んでいる。「日本とベトナムの政府は、互いの国民をもっと受け入れられるようにする必要があると思います。留学や仕事で来日するベトナム人は家を借りる、仕事をする、外出する、音楽を演奏するなど、あらゆる面で苦労をしています」また日越外交関係樹立50周年イベントを通して、日本人が両国の関係にもっと興味をもつきっかけが増えればと願う。「日本で暮らし始めて15 [...]
宮本 洋志(みやもと ひろし)
ベトナムで見つけた存在意義キャラクターを通じ喜びや幸せを届けたい タガー/代表取締役・創業者 宮本 洋志(みやもと ひろし) 『ドラえもん』をはじめとする様々な日本アニメの版権管理をベトナムで手がける「タガー/TAGGER」代表の宮本洋志さん。「ベトナムの人々を喜ばせたい」、そんな想いを作品に載せ、走り続けて早14年。彼が導いた日本発のキャラクターたちは、子どもから大人まで、ベトナムの地で多くの人々に愛される人気者となった。 一目惚れから始まった事業愛されるキャラで新たな価値や社会を作る 日本のプロ野球選手の父を持ち、自分の意思とは関係なく野球に打ち込んだ学生時代。しかし、次第に自身のアイデンティティに疑問を持ち、社会に出てからも常に「宮本洋志としてできることは何か」を探し続けていた。そんな折、知人を頼り訪れたのがベトナムだった。降り立った空港で彼を待っていたのは、親族を出迎えに来た無数の人々。衝撃が走った。 「活気溢れる現地の若い人々を前に、もしかすると私はこの人たちを喜ばせるためにこの国に来たのでは、と感じたんです」 心が騒ぐ、ベトナムへの一目惚れだった。2ヶ月後、宮本さんはベトナムへ舞い戻る。とはいえ、何をして喜ばせるのか、計画は無かった。 「当時は在住日本人数も多くなく、現地の人々にとって日本は身近な存在ではありませんでした。ただ、日本人と知ると誰もが『ホンダ!』、『アジノモト!』と声をかけてくれる。そのひとつが『ドラえもん』だったんです。キャラクターを通じてならば、名も無い個人よりもきっと多くの人に喜びを伝えられる。それが事業のきっかけになりました」 アニメのキャラクターに想いを託す。しかし、道のりは容易ではなかった。当時のベトナムでは著作権や商標がさほど認知されておらず、模倣品が市場に溢れていた。そこでキャラクターには権利があり、権利を守ることがキャラクターを愛される存在にする。ひいては多くの人に喜びを届け、企業やブランドの価値を高めると現地企業を説いて回った。 「数百社を訪問し、お話ができたのは10%ほど。ただ、その頃にドラえもんのテレビ放映が始まったこともあり、日越の大手企業に共感いただくことができました」 キャラクターを使った商品は権利料が発生するため、どうしても価格が高くなる。しかし、文房具や服飾・食品など、高品質でデザインの良い正規品は消費者の興味を引いた。 「キャラクターを使えば売れるのではなく、キャラクターを通じこんな社会を作りたいと思うことが大切。時間はかかりますが、今では共感していただける企業が徐々に増えてきています」 [...]
グエン・カイン・ズオン
日本のマンガから得た知見を活かしてベトナムのマンガ業界を切り開いていきたい コミコラ創業者、代表取締役 グエン・カイン・ズオン マンガ作品『ドラゴンエンペラー/Long Than Tuong』で第9回国際漫画賞(2016年)の優秀賞を受賞したマンガ家のグエン・カイン・ズオンさん。日本のマンガ産業の発展に触発され、ベトナムのマンガ家を支援することで、より多くの読者を惹きつけるベトナムでのマンガ産業の構築を目指している。 『ドラえもん』との出会いからマンガ家という職業を知る ジャーナリズム分野に従事する人が多い家庭に生まれたズオンさんは、子どもの頃から文章を書くこと、特にストーリーを作ることが大好きだった。1990年代前半、ベトナムで『ドラえもん』のマンガ本が初めて出版され、ズオンさんは日本のマンガの魅力に惹かれ、マンガ制作について全く新しい視点を持つようになった。 「それまでベトナムのマンガといえば、上にイラスト、下にストーリーをつづった文章というスタイルしかありませんでした。1コマ1コマを絵と文章で仕立てていく日本のマンガの構成や、ストーリー展開の方法など、学ぶべきことがたくさんあったのです。最も影響を受けたマンガ家の1人は、『20世紀少年』や『モンスター』の作者である浦沢直樹さんです」 ベトナムでは日本のマンガが大人気な一方、ベトナム人マンガ家の活躍の場はほとんどない。質の高い日本のマンガが圧倒的に多いため、出版社がベトナムのマンガ作品を受け入れることに消極的なためだ。ズオンさん自身もマンガ家を目指すことはなく、大学で情報工学を専攻し、卒業後はゲーム会社に就職した。 「それでもベトナムのマンガ産業を発展させたいという想いは捨てきれませんでした。2015年には仲間とともにマンガ出版事業を行うコミコラ社を設立しました。日本のようにマンガ産業が発達している国を見て、ベトナム人マンガ家を育て支える土台を作りたいと思ったのです」 日本から得た多くのアドバイスをベトナムのマンガ産業育成に ズオンさんが原作を、友人のグエン・タイン・フォン(Nguyen Thanh [...]
森 大樹(もり たいき)
日本人が海外で挑戦するその価値を胸に世界を目指す キャピチー代表取締役CEO 森 大樹(もり たいき) 自宅や職場に居ながらにして多彩な食事を手軽に楽しめると人気上昇中のデリバリーサービス。中でも森大樹さんが大学在学中に立ち上げた「キャピチー/Capichi」は、厳選された加盟店と良質のサービスで、人々の日々の食卓を支えている。 ベトナムで出会ったチャンス出前アプリが一躍評判に 森さんがタイ、ラオスなど東南アジアを周遊し、ベトナムを初めて訪れたのは2016年のこと。当時のアルバイト先にベトナム人の友人がいたこともあり、もっとベトナムを知りたいと帰国後すぐに滞在の道を探った。ハノイにあるIT企業の募集を見つけ、インターンとして渡越。仕事を続けるうちに現地での生活が気に入り、2019年にまずは日本で、その後ベトナムに子会社を立ち上げた。 「当時のベトナムにはサービスを含めて足りないものがたくさんあって、チャンスを感じたんです。日本で使われているシステムはベトナムで開発されたものも多く、この国のエンジニアはスキルが高い。それでいてIT関連での起業コストが低いことも後押しとなりました」 そんな折、ベトナムにコロナの猛威が吹き荒れた。飲食店の休業が相次ぎデリバリーの需要が急増するも、既存の宅配アプリに親しみのない利用者や、デリバリーサービスに不慣れな飲食店の間でミスやトラブルが多発した。そこで、何かできることはないかと、ウェブ上で簡単に受発注が行える「キャピチー」をわずか3日間で開発し立ち上げた。 「コロナ禍を機に、在住日本人への認知度が一気に高まりました。現在の登録件数は約1100店舗。ハノイ、ホーチミン市、ダナン、ビンズオン省の4地域でサービスを提供しています」 とはいえ、宅配ドライバーのマナーなど当初は課題も多かった。 「保温容器を持っていなかったり、接客態度が悪かったり。ドライバーは地場の提携会社から派遣されるのですが、それらの企業と良い関係を築くことで、改善のお願いにも真摯に取り組んでもらえ、助けられました」 [...]
カオ・トゥイー・ニー
北海道での撮影で感じた日越のつながりを映画で表現したい 映画監督 カオ・トゥイー・ニー 北海道東川町で撮影された越日合作の長編映画『目を閉じれば夏が見える/Nham Mat Thay Mua He』(2018年)の監督を務めたカオ・トゥイー・ニーさん。幼少期に生き別れた父親を探して北海道東川町へやってきたベトナム人女性と日本人男性カメラマンとの切ない恋愛、そして町の人々とのふれあいを描いた 友人の誘いがきっかけで北海道で映画製作が実現 ホーチミン市演劇映画大学の映画監督学科を卒業したニーさんは、テレビ番組やミュージックビデオ(MV)などの監督を勤めたメディア企業時代の同僚からの誘いで、初監督作品となる『目を閉じれば夏が見える』を製作することになった。 「北海道東川町の映画ワークショップに友人のファム・タイン・タン(Pham Thanh Tan)さんが参加したのです。彼は東川町の美しさに魅せられて、どうしてもこの町で映画を撮りたいと、『目を閉じれば夏が見える』の構想を話してくれました」 現地で知り合ったプロデューサーの初瀬川晃さんの協力を得てニーさんたちは映画のデモ版を製作し、東川町から制作費の一部を提供してもらえることに。そうして2016年から2018年までの2年をかけて日本人とベトナム人の合同チームが製作に取り組んだ。 [...]
グエン・ティ・トゥエット・チン
ビンズオン省の発展のため 子どもたちに日本語と日本文化を伝えていきたい 日本語教師、 「ゆき先生の日本語センター」創立者 グエン・ティ・トゥエット・チン ベトナムと日本で日本語教育の訓練を受けたグエン・ティ・トゥエット・チンさん。ビンズオン省に住む子どもたちがマンガやアニメについて自由に交流し、日本文化も学んで体験できる場所を作りたいと考え、日本語センターを設立した。日本語とのかかわりと、子どもたちに日本語を教えることの意味を聞いた。 日本語教育に力を入れるビンズオン省 日本文化も伝える場を立ち上げ 2009年、ビンズオン省は中学・高校生の日本語教育を推進するため、ホーチミン市師範大学で日本語を学ぶ生徒を募集した。当時高校を卒業したばかりのチンさんはこれに応募し、選ばれた。 「実は、日本や日本語が好きで応募したわけではありません。企業や工場が多く集まるビンズオン省で日本企業の進出が進んでいて、日本とベトナム、特にビンズオン省との協力関係が広がっていると感じたんです。だったら日本語教育も発展するポテンシャルが高いと思い、応募することにしました」 2013年に卒業したチンさんは、ビンズオン省の中高生に日本語を教え始めた。 「生徒たちの多くはマンガやアニメなど、日本文化が大好き。でも省内には日本について学んだり体験したりできる場所がまだなかったのです。そこで、日本での研修を終えた後、2019年にビンズオン省で『ゆき先生の日本語センター』を立ち上げました」 センターでは日本語に加えて、日本の文化やマナーを伝えることも重視。設立当初は小中学生が対象で、週3回のレッスンのうち1回は日本文化を紹介する授業にあて、茶道、おにぎりの作り方、祭りなど、日本文化を紹介した。しかし当時の保護者たちは、子どもがマンガやアニメ、コスプレに熱中することをよく思わず「無駄な趣味」とみなす人が多かったという。子どもたちを日本語センターに通わせることに否定的な保護者たちを目の当たりにして、チンさんは彼らのそんな考え方を変えたいと思った。 「学びへの意欲は興味や趣味から生まれます。何かを好きになれば、自動的にそれを深く追い求め、結果学びにつながると思っています」 そこで、日本文化の授業ではゴミの分別や食事の後片付けなど、日本の子どもたちが身につけるマナーを教え始めた。しばらくすると、保護者たちは子どものマナーがよくなってきたことや、子どもたちが自らインターネットで日本語を学ぶ姿などを目にし、安心して信頼を寄せるようになった。 [...]

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