吉田 涼子(よしだ りょうこ)

ベトナムが導いた第3の人生日本とベトナムをヨガで繋げたい ヨガインストラクター 吉田 涼子(よしだ りょうこ) 独特な呼吸法と共に様々なポーズをとることで、心身をリラックスさせ健康を促すヨガ。ベトナムでヨガを始めたことを機に、本格的にその道に進んだ女性がいる。ホーチミン市のスタジオでアシュタンガヨガを教える吉田涼子さん。「ベトナムとの出会いが人生を変えた」。そう語る彼女にベトナムへの想いを尋ねた。   訪れたヨガ教室で運命の出会い未経験からヨガインストラクターの道へ 「東京に住んでいた頃は街に階段が多く、よく歩いていたことから、運動を意識したことがないどころか、むしろあまり好きではない方でした。でも、ベトナムでの生活では全く動くことがない。運動不足を懸念して始めたのがヨガだったんです」 家族の仕事の関係から2014年にベトナムへ移り住んだ吉田涼子さん。東南アジアを訪れたこと自体が初めてという彼女にとって、現地での生活は日本とはかなり異なるものだった。そんな中、運動不足の解消にと訪れたヨガ道場で運命の出会いを果たす。 「まず道場の活気に驚きました。たくさんのベトナム人が通っていて、クラスの数も豊富。人で溢れる雰囲気に興味をかき立てられました。しかも初日のクラスの先生の存在感が凄くて。すっと伸びた背筋、堂々とした風格、凜とした佇まい…。道場に入ってきた先生をひと目見て、こんな人になりたいと憧れてしまったんです」 その先生に出会わなければ今もヨガは趣味のまま、インストラクターを目指すことはなかったかも知れない…。ベトナムでの出会いが、一人の日本人の人生を変えた瞬間だった。以降、吉田さんはヨガにのめり込んでいく。技術だけでなく、ヨガの哲学も母国語でしっかり学びたいと日本で専門のトレーニングを受講。全米ヨガアライアンスのインストラクター資格を取得した。2018年にベトナムへ戻ると、現地のスタジオで日本人向けのクラスを開講した。 「ところが、生徒がなかなか集まらない。試行錯誤の連続でした。そんな時、ベトナム人女性が営む別のスタジオから声がかかり、子ども連れでも受講できる親子ヨガクラスをはじめてみたところ、SNSや口コミで次第に受講生が増えていきました」 生徒が増えるにつれ、自信も増した。そこで、日本語だけでなく、英語でのクラスにも挑戦した。「今ではベトナム、韓国、インド、香港、日本と、様々な国籍の方がクラスに来てくれるようになりました。最初は英語に自信がなく避けていた英語での指導でしたが、いざチャレンジをすることで更なる自信に繋がった気がします」 現地の住環境に最適なヨガ指導者としての姿もベトナムが教えてくれた [...]

三上 ナミ(みかみ なみ)

ベトナムで音楽の魅力を再発見 音楽を通じ両国の更なる交流を ミュージシャン 三上 ナミ(みかみ なみ) ノスタルジーを感じさせる昭和歌謡を得意とし、美しい歌声と豊かな表現力でベトナムの音楽シーンを盛り上げる三上ナミさん。ミュージシャンとして歌唱・作詞・作曲を行うほか、舞台女優、YouTuber、画家として個展も開催するなどマルチな才能を発揮。日越関連イベントでも数々のパフォーマンスを披露している。  ベトナムに魅せられ移住を決意思いがけない新たな自分との出会いも どこか懐かしいメロディに心踊る朗らかな歌詞。ホーチミン市を拠点とする日本人ミュージシャン・三上ナミさんの楽曲『そうだ!ベトナムに行きましょう!』が、日越外交関係樹立50周年を記念して在ベトナム日本商工会議所が主催した友好ソングコンテストで、準優秀賞を受賞した。ベトナムの楽しさと魅力を生き生きと伝える楽曲で、両国が共に手を取り合う明るい未来を彷彿させる。そんな三上さんがベトナムを訪れたのは、友人との旅行がきっかけだった。 「約35ヶ国を訪れたことがあり、次の旅先を選んでいた時に、偶然見つけたピンク色のタンディン教会に一目惚れ。それまでフォーくらいしかベトナムを知らなかったのに、最初の旅がとても楽しくて。その気持ちを形にしたいと作ったのが『そうだ!ベトナムに行きましょう!』なんです」 すっかりベトナムの虜になった三上さんは、約1年後の2017年に本格的に移住を果たす。現地での音楽活動は難しいと、あくまで当初は趣味に留めるつもりだった。しかし、日系コミュニティ内で開催されたライブを機に活動を再開。以来、飲食店の周年記念や日系企業や団体が開催するイベントで、オリジナルからカバー曲まで、その華麗な歌声を披露している。 「昔から古いものが好きで、日本では昭和歌謡やアングラ演劇をメインに活動していました。ただ、ベトナムにある独特のカラっとした雰囲気からか、それら以外の感性も面白いと感じるようになりました。実は『そうだ!ベトナムに行きましょう!』も以前の自分の音楽とは全く違うスタイルなんです。レトロやアングラ以外にも違う側面が自分にあった。ベトナムに来たことで新しい自分に出会えた気がします」 音楽は国境を越える日越問わず身近な人々を楽しませたい 出演するイベントでは時折、ベトナムの人々が主な客層となることもある。「音楽で世界を動かすとか、日越の架け橋になるとか、そんな器ではない」と三上さんは言うが、音楽への想いと熱量はベトナムに対しても同様だ。 「私が歌うのはやはり日本語の曲が主になります。でも、ベトナムの人々を前に世界的に人気が高いシティポップの楽曲を歌ったときは、ベトナムの子ども達も一緒にステージで飛び跳ねたりと、とても喜んでくれました。時にはステージを見たベトナムの方から、『今の曲は何?』と聞かれることも。音楽に国や言葉の垣根はないと言われますが、私の音楽活動がベトナムの人々に受け入れて貰えたことはとても嬉しい。活動を続けてきて良かったと思わせてくれました」 [...]

グエン・フイ・タン

日本の教育で学んだ価値観を生かして日本水準のサービスを提供したい エイチビーラボ/代表取締役、キディハブ/会長 グエン・フイ・タン 日本市場向けのオフショアサービスを提供する「エイチビーラボ/HBLAB」の代表であり、ベトナムの幼稚園に日本の教育プログラムを導入する「キディハブ/KiddiHub」」の会長も務めるグエン・フイ・タンさん。日本留学で学んだ日本独特の考え方や精神で、情報技術と教育分野において日越の橋渡しを行う。 日本で学んだ問題解決思考で会社を成長に導く ハノイ工科大学在学中に、高い学業成績を収め、慶應義塾大学の環境情報学部に留学する奨学金を得たタンさん。これが日本との運命的な出会いとなった。 「私が入学した環境情報学部では、情報技術の研修があります。学部名に『環境』と付いているのは、情報技術を使って環境問題の解決を目指すためだと教授から説明を受けました。大雑把に言えば、技術とは人生の問題を解決すること。日本で教えられた、この問題解決型の思考に強く惹かれるようになりました」 卒業後に日本で就職したタンさんは、その時勤めていた日本企業の人材不足を解決しようと、ハノイ工科大学の仲間とともに、日本向けのオフショア開発会社「エイチビーラボ」を設立した。 「私は技術者として勉強をしてきたので、本来はロジカルでドライなタイプです。ただ日本での留学や勤務経験から、人間関係や信頼を築くためには、一生懸命働くだけでなく、なぜお客様が当社のサービスを必要としているのか、どうすればお客様の目標達成に貢献できるのかを把握する必要があることを理解しました」 「エイチビーラボ」の経営理念は、利益を追求することではなく、お客様の問題を解決することだと常に考えているタンさん。 「試行錯誤を繰り返す中で、ベトナム側と日本の顧客には、品質に対する評価に差があることに気づきました。この差を埋めるために、日本標準のプロセスや品質を基に、常に改善を行っています。顧客のニーズをよく調べて、そこに適した対応に注力するのです。例えば、日本市場ではデジタルトランスフォーメーションの需要が大きいので、現在はこの分野にリソースを集中させています」 会社が危機に直面助けてくれたのは日本人 「エイチビーラボ」には現在、ベトナム本社と日本支社を合わせて400人以上の従業員を抱えるまでに成長した。ウェブシステムやスマートフォンアプリ、デジタルトランスフォーメーションなどの開発だけでなく、人工知能の分野にも強みをもつ。日系小売企業やスタートアップ企業などを顧客として、画像認識などのサービスを提供している。 「コロナ禍や円安の困難な時期に、日本のお客様は当社を離れることなく、たくさん応援してくださいました。そのおかげで、人員整理をすることなく、困難を乗り切ることができました。また、東京オフィスの開設など、ジェトロにも設立当初から多くの重要な支援をいただきました。これらの支援があったからこそ、私は常に日本の『おもてなし』と『こだわり』の精神を仕事に生かし、お客様に寄り添い、社会にとって良い価値を生み出せていると思います」 日本の教育プログラムをベトナムの子どもたちへ提供 [...]

箕輪 佑耶(みのわ ゆうや)

地方から始めるベトナム開発日越が共に手を取り合う未来を夢見て ニイヌマベトナム・ニイヌマともファーム/代表取締役 箕輪 佑耶(みのわ ゆうや) ベトナム北部の農村では、約15万世帯が未だ電気のない生活を送っている。そこで、LED照明や蓄電池などの開発・製造・販売を行う「ニイヌマベトナム」では、日越の公官庁と共に電力供給がない地域での環境インフラの整備に取り組んでいる。街や国が抱える課題解決に力を注ぐ代表取締役の箕輪佑耶さんに、ベトナムとの関わりを聞いた。 ベトナムのビジネスは人間関係助け助けられ、ベトナム好きに ニイヌマ株式会社の海外事業の一環として、箕輪さんがベトナムへ赴任したのは2019年のこと。日系企業の増加や街の発展、市場拡大に伴うLED照明の需要を見込んでの進出だった。折しも当時、ベトナム政府も新たな照明の導入を計画していた。既存企業の製品では品質の向上が見込めないと、ニイヌマベトナムの製品が採用された。しかし、当初は現地政府や企業との関係作りに苦心した。 「ベトナムでのビジネスは、まず人間関係作りが大切です。しかもみんな、お酒が好き。一緒にお酒を飲み、心を砕いて仲良くなることで、次の何かに繋がることが多くあります。ところが、私はもともとお酒が強くなく、当時は飲み会に出ることが本当に苦手でした」 しかし、いざ飲み交わしてみると、関係が深まっていくのを実感した。ベトナム語が堪能でないにもかかわらず、積極的にコミュニケーションを図った。飲み会の数が増えるにつれ、友人の数も増えた。 「何かの問題について助けてほしいとお願いされることもあれば、助けられることも多い。例えばこういうことがしたいと話していると、伝手を頼って人を紹介してくれたりもします。次第にそんな生活を楽しく感じるようになり、ベトナム人に対する向き合い方も変わりました。今ではもう、1度会った人とは2度目は飲みに行くというルールを自分に課しています(笑)」 ニイヌマベトナムでは現在、イエンバイ省やトゥエンクアン省、ディエンビエン省などの農村や山岳地域で、JICAや日本国大使館の支援を受け、照明の設置や電力供給システム構築の公共事業を行っている。日本人があまり訪れない地域だけに、来訪すると熱烈な歓迎を受けることも多い。 「もちろん物やサービスの質は大事ですが、お互いに信頼できる人とお酒を飲み、一緒に仕事をしたいという気持ちを強く感じます。だからこそ、心を開くために私ができることは全てしたい。弊社は大手ではなく中小企業。地方から一緒に成長していければと思っているんです」 電気も農業も全部やる“自分事”としての地方開発 照明・電力と並び、箕輪さんはベトナムの農業にも注目している。照明などのプロジェクト先は遠隔地の農村が多く、そこに住む人々の生活向上には、農業自体の向上が欠かせないからだ。 [...]

フィ・ホア

ベトナムと日本のビジネスの架け橋として両国の発展に貢献したい ONE-VALUE株式会社創業者/代表取締役、若者のインフルエンサー フィ・ホア 戦略コンサルティング、M&A、外国人人材サービスの分野で業界トップを目指す起業家のフィ・ホアさん。市場調査から進出支援、ベトナム企業買収、ベトナム投資アドバイザリーまでのワンストップサービスを提供することで、多くの日系企業の成功に寄与している。また、「外国人・若手女性・小さな子どもの母親」として日本で起業した経営者ならではの貴重な経験や知識を、ベトナムの若者たちに積極的に伝えている。   日本人の国民性にあこがれ日本で活躍するビジネスウーマンに ホアさんは高校時代の地理の授業で、第二次世界大戦後の日本の急速な発展や、地震や津波など多くの自然災害に見舞われながらも、世界有数の経済大国として多くの有名グローバル企業を抱えている日本を知った。発展の核となった日本人の国民性に魅力を感じたという。「先進国である日本について学んだほうが良いという父親の勧めもあり、ハノイ貿易大学で対外経済関係論専攻の日本語クラスに通うことになりました」学業成績が良かったホアさんは2008年、日本の文部科学省から全額奨学金を受けて日本に留学。これが大好きな日本との長い付き合いの出発点となった。「日本に留学して、ビジネスに関する実践的な知識とスキルを身につけるために、多くの日本の企業とつながれる仕事を探すことを目標に掲げていました。そのため、学生時代から勉強をがんばるだけでなく、日越経済カンファレンスの通訳や、企業商談の通訳、全国の学生を対象にしたスタートアップアイデアのコンテストにも積極的に参加しました」日本で接した日本人は、社会に対する責任の自覚や、常に感謝の気持ちを忘れないなど、日本人ならではの良さがたくさんあった。「ビジネスの勉強だけでなく、生き方についても、日本からいろいろなことを学びました。そのおかげで人見知りな女子学生だった私が徐々に成長し、日本でのビジネスウーマンとして活躍できるようになったんです」   経営コンサルティング会社の設立で日本に恩返し 2015年には日本のある大手コンサルティング会社にベトナム人として初めて入社し、東南アジア、特にベトナムでの事業展開の日本企業を支える戦略コンサルタントとなった。「在職中は、ベトナムに市場を広げたいと考える大企業の経営者の方々と接する機会が多くありました。しかし、大手企業のビジネスのやり方について限界を感じました」ホアさんは、自分の経験を生かして日本とベトナムの発展に貢献し、人生で誇れるようなことを成し遂げたいと考えるようになり、起業を決めた。「大手企業と同じサービスを、半分の料金で提供したいという思いがありました。顧客企業と長期的に付き合える安価なコンサルフィーを提供し、リスクフリーのコンサルティングではなく、顧客企業と共にリスクを共有し、共に投資を行うことも可能としたかったからです。ベトナムに特化した経営コンサルティングを主な事業内容とするワンバリュー社を2018年に設立したのは、私に日本留学の機会を与えてくれた日本政府への恩返しでもありました」 M&A戦略コンサルティングを推し進めビジネス分野を拡大 ワンバリュー社は、日本企業がベトナム市場に進出するための戦略を数多く構築してきた。その半分近くがM&A(企業の合併・買収)に関する戦略だ。日本企業だけではなく、国土交通省や総務省、外務省、経済産業省、JETROなど、日本の政府機関からも多くの案件を受託している。「以前はベトナム市場を重要視するお客様は少なかったのですが、今やベトナムは今後5〜10年で最も重要な市場となるといわれています。今後は日本とベトナムの市場に焦点を当てたM&A戦略コンサルティングを推し進めて、この分野でリーディングカンパニーになりたいと思っています。2025年までに業界トップクラスのM&Aファームとして知られるように取り組んでいます」 2008年日本文部科学省の奨学金留学生として東京外国語大学、次いで大阪大学経済学部へ入学。大阪大学大学院MBA取得。2016年に8年間の日本留学生活をまとめた書籍『Study in Japan~日本での3000日~』を上梓。2018年には、日本で「ONEVALUE(ワンバリュー)株式会社」を設立。2021年、「HuReDee」(外国人人材支援協会)理事に正式就任。2022年、JP-MIRAI「責任ある外国人労働者受入れプラットフォーム」の外国人代表専門家・アドバイザー [...]

阪下 正樹(さかした まさき)

器用で勤勉なスタッフと共に美容業界の地位向上に貢献したい ヘアサロン「テトテ」/オーナー 阪下 正樹(さかした まさき) 日本での安定した職を捨て、日本の技術と細やかなサービスを人々に届けるべく、ハノイの地で美容室を開店した阪下正樹さん。「伝え、受け取り、つながる手」との想いを店名に掲げたヘアサロン「テトテ/te to te.」は、今や日本人はもとより、多くのベトナム人にも愛される店になっている。 チャンスを信じ、伝手なしでのハノイ起業支えてくれたのはスタッフだった 理髪店を営む家庭に生まれ、幼い頃から美容の世界に親しんできた阪下さん。両親に倣い理美容専門学校へ進学したが、ブレイクダンスにはまり、卒業後はアルバイトで生計を立てながら国内外の大会に出場する日々を送っていた。 「特に海外の大会では多くの刺激を受けました。怪我をしたためダンスは断念しましたが、資格を生かし美容師となった後も海外への憧れは強く残っていて。もし自分の店を持つなら日本以外でと漠然と考えていました」2009年頃、そんな彼のもとに転機が訪れた。   「ハノイには日本人美容師が少なく店を出すチャンスがあるらしいと、ベトナム好きの妻から提案を受けたんです。しかし、当時はまだスタッフの美容師だったので、マネジメントなど運営の経験を積み、2014年にようやくベトナムに来ることができました」 仕事を辞め、家族を連れて見知らぬ国で起業する。今思えば大きな決断だった。それまでベトナムを訪れたことはなく、知識も伝手もない。しかし、店を開くならばこだわりたいと、客席は多めの7席を用意。内装も日本さながらモダンに整え、環境とサービスを充実させた。だが、日本人には好評なものの、ベトナム人の客足は思ったように伸びない。そこで料金が高いのではと、ベトナム人向けに大幅割引を行った。 「ところが新規のお客様は増えたのですが、逆に既存のお客様が減ってしまったんです。そんな時にアドバイスをくれたのが、ベトナム人のスタッフでした。ベトナムでは価格によってお客様の質も変わる。店舗がきれいで技術や接客のレベルも高い店なのに、価格を下げるとその良さを理解してくれる本当に欲しいお客様が減ると教えてくれたんです」 [...]

チャン・トゥー・チャン

憧れの日本留学を実現日本人から学んだ仕事や人生の考え方 アステラス製薬/経営戦略部員 チャン・トゥー・チャン 幼い頃から日本に憧れを持ち日本の文部科学省の奨学生として来日したチャン・トゥー・チャンさん。学生時代はベトナムを多くの日本人に紹介したいという思いから様々な活動に参加。現在はベトナムに支店を持つ日本の製薬会社に勤務し、ベトナムの人々に多くの特効薬を届けることに貢献している。 日本で製薬会社に就職仕事における公平な評価 大学卒業後は日本とベトナムの経済に貢献したいと考えたチャンさんは、ベトナム支社をもつ「アステラス製薬」に入社。現在、経営戦略部の一員として、製薬の開発戦略の策定などに関わっている。 「医学の専門ではありませんが、患者さんに薬が届くまでの過程に貢献できることは、とても有意義です」2021年からは2年間の予定でシンガポール支社に駐在した。 「会社の使命を託されて海外駐在となることは、日本人にとっても大変名誉なことです。自分が駐在員に選ばれて、日本人はとても公平だと思いました。国籍を問わず、能力があれば、同じようにチャンスを与えてくれるからです」 日本での生活を通して、チャンさんは規律性、細部への配慮、退職後の考え方なども学んだ。 「かつては『定年退職』とは仕事を辞めて休養し、旅行なども楽しみながら、子どもや孫と幸せに暮らすものだと思っていました。でも『アジアの新しい風』の日本人の方々と出会って考えが変わりました。定年退職しても、多くの活動に積極的に参加し、若者たちの目標達成を手助けするなどができるとわかりました」 経済から文化までより活発な交流を期待 チャンさんは、ベトナムと日本の経済関係を非常に良好だと認識している。例えば、日本はベトナムに対して技術協力と資金協力を組み合わせたODA事業を多く行い、ベトナムは研修生や技能実習生から知識労働者まで、日本に幅広い労働資源を提供していることだ。 「経済面だけでなく、文化や社会においても関係性が広がっていければ。日本の魅力を知り、勉強や仕事で来日するベトナム人が増え、ベトナムの良さを知り、旅行や仕事だけでなく、長期滞在のためにべトナムにやってくる日本人が増えていくのが望ましいと思っています。文化交流と言えば、国際交流基金を筆頭に、様々な活動が既に実施されています。これからもより良い交流が続けられることを願っています」 もちろん医薬分野においても、一層の発展を願う。 「ベトナムは、日本をはじめとする海外の製薬会社との更なる連携が必要だと思います。そうすることで、ベトナムの人々にとって最新の医薬品が身近なものとなり、健康の増進を推進し、さまざまな病気の治療と克服ができるようになりますから」 [...]

竹森 美佳(たけもり みか)

少数民族が守り伝える匠の技ベトナム手工芸の魅力を日本へ アジア工芸社/代表 竹森 美佳(たけもり みか) ベトナムの伝統工芸を生かした洋服や雑貨の開発・製造・販売を手がける「アジア工芸社」の竹森美佳さん。北部少数民族に惚れ込み、ファッションブランド「アンテ/ante」を軸に、ベトナムの伝統文化を日本へ伝え続けている。「ポジティブな人々にエネルギーを貰っている」、そう話す彼女のベトナムへの想いとは。 願いが詰まった織物に魅了され自社ブランドの設立に挑戦 竹森さんのベトナムとの出会いは2010年のこと。青年海外協力隊員としてハノイへ赴任し、現地が抱えるゴミ問題などに取り組んでいた。そんな折、ベトナム北西部で手工芸品の開発を目的とするプロジェクトに参加。色とりどりの衣装を身に纏う少数民族の暮らしや文化を知り、興味を持つようになった。 「少数民族の人々が作る工芸品はどれも膨大な手仕事で作り出されるものばかり。特に黒モン族のろうけつ染めが好きで、麻から糸を紡ぎ、布を織り、その上に緻密な文様を描いていく。その素晴らしさに魅了されました」 少数民族の伝統織物は今では土産物として売られることも多い。しかし、元来は彼ら自身の衣服のために作られるもので、文様ひとつひとつにも魔除けなどの意味がある。山間部での厳しい暮らしの中で、自身や家族を守る願いが込められていると知り、感銘を受けた。そこで、彼らが持つ独特の文化が今後も続くよう、その素晴らしさを広めたいと、土産物に留まらない価値あるオリジナル商品の開発を目指し「アジア工芸社」を立ち上げた。 「服でも靴でも、気軽にオーダーメイドできるのがベトナムの良いところ。アパレルの経験はありませんでしたが、パタンナーや縫製など、ベトナムの職人達から様々なアドバイスを受けながら手探りで商品を開発しました。自分に足りない部分はベトナムの人々の助けを借りて作ったのが『アンテ』なんです」 麻布など自然由来の素材をベースに、少数民族の伝統織物をあしらったアンテの服は、主に日本で販売されている。デザインも日本人好みのゆったりとしたシルエットのものが多い。ベトナム人が好むスタイルと異なるため、職人たちの理解を得ることが難しいこともあった。 「説明を繰り返すことで、今では寸法通りに仕上げてくれますが、当初はこちらの方が良いと、勝手に注文と違う形で作られることもありました。ただ、ベトナムのZ世代はスタイルが異なるため、職人の娘さんたちが可愛いと言ってくれることも。将来的には若い人たちに受け入れてもらえるチャンスもあるのかな、と思っています」 ベトナムの人々のエネルギーが元気と勇気を与えてくれる 青年海外協力隊に参加したり、ハノイで起業したり、本を出版したり。一見するとその行動力に舌を巻く竹森さんだが、実は極度の心配性で、リスクやマイナス面を気にしてストレスを抱えたり、足踏みをしたりする性格だという。しかし、そんな自分を変えるきっかけをくれたのもベトナムだと話す。 [...]

ヴー・レ・ニャン

日本人の温かい心に感動日系企業に献身的に貢献していきたい Sumitomo Heavy Industries (Vietnam) Co.,Ltd /生産技術部長代理・機械エンジニア ヴー・レ・ニャン 機械エンジニアのヴー・レ・ニャンさんはSumitomo Heavy Industries (Vietnam) Co.,Ltdのハノイ・タンロン工業団地の拠点で12年間ほど勤めており、会社に深い愛着をもっている。同社で積み上げてきた経験が、今の自分へと成長させてくれたからだ。大変だったという日本での仕事や生活において自分を助けてくれた日本人について語った。 慣れない日本での生活を支えてくれた日本人たち 2010年代にベトナムは海外直接投資を奨励し、日本からの投資を歓迎していた中、ニャンさんの故郷ダナンには日系企業が少なかった。進学したダナン工科大学では、日系企業がスポンサーした機械テストを行う研究室で日本製の機械を使ったことがあり、日系企業の就職フェアにも参加したことで、日系企業で働きたい気持ちが募っていった。 [...]

池山諒太(いけやま りょうた)

日本とベトナムの子どもたちがスポーツを通して高め合える環境づくりを スリーエーサムズアップCEO 池山諒太(いけやま りょうた) はじめてのベトナム旅行で現地の人たちと一緒にサッカーをして、現地の熱気を感じた。「こんな世界があるんだ」と衝撃を受けたという池山諒太さん。2014年からホーチミン市でサッカーコーチとして新しい道を進み始め、現在は現地の日本人の子どもたち向けのスポーツクラブを運営する傍ら、ベトナムの孤児院の子どもたちにボランティアでサッカーを教えている。   自分の本当にやりたいことがサッカーのコーチだった 「現地の人たちとサッカーをやる」というミッションを自分に課して、池山さんが初めてホーチミン市に向かったのは大学時代の2010年頃のこと。プロサッカー選手の中田英寿さんが引退後に、世界一周をしながら現地の人々とサッカーをしている姿に刺激を受けた。 「日本のように整っていなくて、バイクしか走っていなくて、市場や屋台の雑多な雰囲気など、すべてが刺激的でした。そんな中、10区のフート競馬場のど真ん中で地元の人たちがサッカーをしているのを見つけたんです」 一言もベトナム語が話せない、ボディランゲージのみで交流を図り、とりあえず一緒にサッカーをした。「『なんか外国人来たぞ、サッカーしにきた、あ、うまい』みたいな感じで中に入れてくれました。競馬場の真ん中なので、馬が歩いている横で18時くらいまでみんなとサッカーをして。次の日から帰国まで毎日いきました。言葉は通じないけどできるって、サッカーすごいな、と実感しました」 帰国後はとくにベトナムと関わることなく社会人生活の傍らサッカーの指導を続けていたある時、当時一緒に指導していたサッカーのコーチが白血病にかかったことを知った。さらに高校時代にお世話になったサッカー部の顧問が31歳の若さで亡くなるという悲劇が重なった。 「その時に、本当にやりたいことをやらないといけないと強く感じたんのです。明日死ぬかもしれないって。当時の僕が本当にやりたいことこそ、サッカーのコーチでした」 その後2014年にベトナムの日系サッカースクールでコーチの職を得た池山さん。2年後の2016年に独立して「スリーエーサムズアップ/3A Thumbs Up」社を設立し、日本人の子どもたち向けにサッカーとチアダンスのスクールを運営している。 [...]