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コラム4:深めるベトナム4

桃木至朗(日越大学教員・JICA専門家)

☆以下はすべて筆者独自の見解であり、日越大学を代表するものではありません。

日本人のベトナム語、ベトナム人の日本語はどちらも習得が難しいのですが、「では英語で商談」などと安易に考えると、よけいにうまく行かなくなったりした経験をおもちの方はいないでしょうか。今回はジャパニーズ・イングリッシュとベトナミーズ・イングリッシュがぶつかると、お互いに聞き取れない、意味がわからないで困ってしまうことがとてもよくある、という話題です。今回のキーワードは「母語の干渉

1.日本人の英語はなぜダメか

まずは日本人の英語(語学一般)の問題点をおさらいしてみましょう。これをベトナム人に教えたら、「なるほど。それで日本人の英語やベトナム語はこうなるのか」と「合点」してもらえることもあるはずです。

発音ではLとR、BとV、HとF、語尾のNとNGなどの区別ができない人が多いですね。音節の最後に必ず母音がついてしまう人も多い(英単語にフリガナとしてカタカナを書くような間違った学習法も根絶できない)。同じ母音でもアクセントがある場合とない場合で発音が違う点を意識している学習者が少ないのも問題。Uの字はアクセントがあればウでなくユーと発音するから、学生はストゥデントではなくスチューデントなのだという考え方を知らない学生はよくいますね。その矯正には、知らない英単語を発音する際に、どこかにアクセントがあるはずだと考えずに全部平板な発音で「ローマ字読み」する習慣を変えさせるだけでも、効果があるでしょう。脱線ですが、新幹線と車掌さんにはこれらの欠陥を全部体現している残念な方が少なくないですね。

語彙・文法では日本語と英語(翻訳)の単語や文が一対一で対応する(置き換えられる)と思い込んでいる日本人が、高学歴者にも少なくないのはいったいどういうことでしょうね。構文では「主題ないし場所+述語」という日本語の文構造や品詞の特色に縛られて、「主語+述語動詞」という英語の基本に合わない作文をする日本人が、とても多いですね。これは学校の国語で日本語も必ず主語があるかのようなヘンテコな教え方をするせいで、実際にはそれとは違う日本語の構文が意識できていない、結果として英語がおかしくなる、という悪循環でしょうかね。

教育・学習方法も問題が多いですね:(1)「アメリカ人のように英語をしゃべる(そもそもどのアメリカ人?)」「それにはなんでもいいから小さいときからの学習をさせろ」などの非科学的な目標・方法の信者が高学歴者にも多いこと、(2)「母語できちんと思考・表現できない大人は外国語の思考・表現も絶対にできない」という鉄則を無視した国語教育(文学の読解に偏りすぎ。また論理的表現やオーラルコミュニケーションをあまりにも軽視。「思ったことをそのまま表現すればいい」などという感想文的教育は世界に絶対通用しない。論説文を多く含み日本の知識人の論理性を支えてきた漢文は絶滅危惧種)の弊害、(3)前回述べたように自分は今どこで何の練習をしているのかのメタ認知と文脈なき反復練習、などがその代表でしょうか。しかも現在はその反復練習も聞く・話すに偏り、大学・社会で必要な読み書きと文法が忘れ去られています。関係詞などあってもブツブツ短く切って訳せ、などとしか教えないから、関係詞によって意味が変わる論文が訳せない。他方、年配の人文学者や日本の文化・社会など研究者の場合は、実践経験が少なすぎて「訳読」以外は使い物にならない、つまり「話す」「書く」の両方で表現力が低すぎる学者がまだまだいるのが悩みです。

2.ベトナム人の英語(語学一般)はなぜわかりにくいか点:

こちらも母語の干渉は強烈です。ベトナム人は日本人よりはるかにたくさんの音を発音できますが、しかし逆に、そこにない発音は絶対出来ない(受け付けない)ケースが日本人より多いように思われます。

発音は、ベトナム語の音節構造から容易なことでは抜け出せません。たとえば北部弁の場合、語頭の二重子音(例:schoolのsc)、主母音の二重母音は一部しか発音できないし、母音の長短の区別、アクセントのある母音の発音なども苦手で、母音はたいていベトナム語のふつうの主母音より短く発音されます。それでも、近世初頭まで語頭の二重子音(bl, ml, tlなどなど)が残っていたせいか、スターリンxta-linのxtが発音できるように、語頭子音はダメでありません。対照的に、語尾の二重子音(例:st、sm、cs、rl,rx)は絶対無理で、sはよく脱落する、他の二重子音だと一つ目だけ発音する。ドイツ語等のburgはbuaになったりする、という特徴が現れます。語末子音でいちおうできるのはc(k),p,t,m,n,ngなどいくつかに限られ(通常、語尾のlはn、rはc、bとfはp、gはcに、s、shやthはtにそれぞれ変化して発音される。chの綴りはベトナム語綴りに引き付けて[ic]のような発音にされる)、しかもc,p,tは口の形だけで(次に母音で始まる単語が続けば別だが)発音されず、そのうえそれらの末子音の前の母音は通常、鋭く上がる短い発音の声調(喉が詰まるように聞こえる)で発音される。それらもろもろが組み合わさると、Karl Marxがカッ(ク)・マッ(ク)Các Mácに、「ファシスト」はファ(ッ)シ(ッ)phát xítになるなど、やたらに詰まった音が多く聞こえたりするわけです。PaulさんはPon(ポン)になります。

*なお日本語の「つ」が発音できないのはベトナム人だけでなく、世界中同じですね。

また、ベトナム式の音節の区切り方のパターンが外国語学習にも干渉し、外国人を戸惑わせることも少なくありません。日本語の例ですが、かつて大ヒットしたドラマ「おしん」はo-shinという二音節の単語と受け止められ、したがって「オー・シン」と発音されました。エリザベスはエー・リー・ザー・ベッ(ト)という四音節語になるでしょう。

*ついでに脱線ですが、かつて北部でよくあった「英単語をフランス語読みする人」にはめったに会わなくなりましたが、フランス系外来語はまだいろいろ残っています。そこでの音韻変化の原則(gare(駅)⇒ga, garage(ガレージ)⇒gara, beurre(バター)⇒bơなど語末子音が落ちる傾向が強い)は英語にも影響を残しているかもしれません(例:作曲家のMozartはベトナム語ではフランス式かつ語末子音を落としてモーザー(Mo-da)と表記されるが、英語をしゃべる際にもartなんて語尾は発音できないから、やっぱりそのままか?)

語彙・文法面では、日本語話者と同様に、「主題ないし場所+述語」という構文で英語を書いてしまうので述語動詞のない文が頻出します(「だれそれのところ+名詞」で所有・存在を示す文を作れるロシア語には親和的か)。そのうえに、ベトナム語は孤立語で語形変化がないため、動詞・形容詞にせよ名詞にせよ適当な形に変化させることが苦手(動詞はなんでもingがつく、というのがよくある)。また孤立語なのでそれぞれ違った意味・機能をもつ「時制」「態」「法」や「品詞」などを区別するという発想をもちにくい。加えて、そもそも散文では近代的な「構文」概念が弱いので(定型詩などの伝統はあるが)、「構造や部分同士の関係がよそ者にはわからないことばの連続が、どこまでも続いていく」ということになりやすい。現在でもピリオドやカンマのない文を書く人は珍しくありません(漢文の白文?)。

いかがですか。こういうことを認識したうえ、わかりにくいベトナム人の英語を見当をつけて聞く(読む)練習をしませんか。

最後に、ベトナムの学生の英会話能力の急速な向上(日本を追い抜いた)という話題をご存じの方も少なくないでしょう。もともと科挙試験やフランス式教育は、人前で立派なスピーチをしたり名文を書くことができない人間をインテリやリーダーとは認めないという文化を根付かせてきました。高学歴以外の庶民のあいだでも、冗談を言い合ったりする姿は日常的見られますね。ただし意地悪く言えば、近代中国で科挙的な勉強が批判されたように、そこから「無内容な総論と美文の羅列」しか生まれない危険もあります。そこに入ってきた英語の資格をやたらに強調する現状は、会話偏重(カフェの店員はできてもAIで代替不能な専門的翻訳・通訳業務などはめったにできない)、メタ認知や文脈への注目なき反復練習など日本と同じ弊害をともなっているようにも見えます。日越大の場合、もともとのスピーチなどの文化を活かしつつ、日本的価値観からみて譲れない「簡潔で正確な文章」を読み書き聞き話す「4技能」をうまく身につけさせることができたら素晴らしいのだが、などとも考えています。