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コラム3:深めるベトナム3

桃木至朗(日越大学教員・JICA専門家)

☆以下はすべて筆者独自の見解であり、日越大学を代表するものではありません。

今回も、言葉と文字の話を続けます。日本人はベトナム語を、ベトナム人は日本語を、いつごろどこで勉強したのでしょう。

1.日本のベトナム語教育・ベトナムの日本語教育

江戸時代(鎖国時代)の長崎には「東京(トンキン)通事」がいました。安土桃山から鎖国初期は日越貿易が盛んで、中国船などに乗り組んだベトナム人もたくさんいたのでしょうね。

明治以降になると、現地で偶然ベトナム語を習い覚えた日本人、第二次大戦中の日本兵などがいたし、日本やベトナムで日本語を習ったベトナム人もいましたが(日越間の結婚もあった)、それは双方の外国語学校などで系統的・専門的な教育をおこなうレベルには達しませんでした。それは古代から続く中国研究などとはまったくちがった状況でした。

*ベトナムの社会・文化・歴史などについての日本での研究は、おもに漢籍(中国・ベトナムその他の漢文史料。ときには仏典)を使える領域で江戸時代から始まっており、1930年代には「東洋史学」「民族学」などの専攻での研究が本格化しました。フランス語など西洋資料による研究もおこなわれました。しかし、第二次世界大戦と「仏印進駐」の時期に大勢の学者・文化人を動員しておこなわれた現代の政治経済や社会文化の研究はあまり実を結ばずに終わりました。それに対してベトナム戦争中には、「反戦世代」の若者がおおぜいベトナム研究に参加しました。しかし、ベトナム語を使って研究すること、現地留学したり現代社会についてフィールドワークをおこなうことなどが当たり前になったのは、ベトナム戦争中の南ベトナムを対象とした研究の一部を除けば、ドイモイ開始後(冷戦の終了ともほぼ同時期)のことでしょう。

日本の組織的なベトナム語教育は、ベトナム戦争と反戦運動が広がった1960年代の慶応外語学校、東京外国語大学などに始まります(旧南ベトナム、米国などに留学してベトナム語を習う学生も出現した)。しかし、1973年の日本とベトナム民主共和国との国交樹立後も、カンボジア・中国との対立や難民問題も影響してベトナム戦争中のブームが去ったため、ベトナム語学習は低調な状況が続き、外語大などに第一志望の受験生が大勢集まるようになったのは1990年代以降のことです(その時期から現地留学も当たり前になりました)。現在では、東京・大阪の外語大(大阪は現在、阪大外国語学部)以外に大東文化大、神田外語学院と神田外語大などにもベトナム(語)専攻が設けられています(関東学園高校も)。

ベトナム(北部)での組織的な日本語教育は、1970年代からハノイ外国貿易大学・ハノイ外語大学などで開始されたが(最初の教員は中国や北朝鮮で日本語を習った)、これも初期は低調でした。しかし、1990年前後からホーチミン市などに日本語学校が続々と開設され、日本語ブームがおこりました。近年は中学・高校などでも日本語教育をおこなう学校が各地に出現しており(若者が日本に興味をもつきっかけは圧倒的に漫画・アニメ)、日本のベトナム語学習者よりずっと多くの若者が、日本語を学んでいます。

このように、双方とも急速にすそ野が広がりレベルも上がっていますが、まだ日本人の英語、ベトナム人の英語と比べれば学習者が少ないことを指摘せざるをえません(だから機械翻訳の質もあまり上がらないし、機械がまだできない医療通訳・司法通訳などの現場は、しばしば絶望的な状況です)。

2.母語教育の欠陥を原因とする悪循環

日本企業で働くベトナム人、日本語学校で教えるベトナム人などの日本語が完璧でないことは、多くの日本人のみなさんがお気づきですね。しかしそれは「だから日本語教育をもっと充実させろ、教員や教科書を増やせ、日本人と話す機会を作れ」という話でしょうか。小さな子供はそれでいいでしょう。しかし大人はそれだけでは上達しないのです。ここではいちばん根本的な問題を紹介します。

日本生まれ・日本育ちのみなさん、みなさんが小中学校で習った「国語」と、ベトナムなど海外の学校で日本語が母語でない学生が習っている「にほんご」がまったく別のものであることを知っているかたは、この節を読んでいただく必要はありません。そうでない方は、3回繰りかえしてよんでいただけないでしょうか。それはみなさんのベトナム語の上達がなぜ遅いのか、また次にとりあげる「日本人の英会話はなぜ上達しないか」などの問題とも、きわめて強く関連するテーマです。

現在の日本と世界の教育改革やスポーツの練習方法が、「ただやみくもにたくさん練習しろ」というのと違う方向を目指していることはご承知の通りです。その点で実は「伝統的な文法重視は間違いだ、とにかく会話練習だ」という20世紀末以降の日本の英語教育は、退化したのです。

状況はベトナムも似たり寄ったりです。日本語のどこがどう難しいか、ベトナムの日本語教育のどこにネックがあるかを「漢字が難しい」「生の日本人との接触機会が少ない」などの当たり前すぎる一般論以外にきちんと説明できる教員・学習者が、少なすぎます。そしてゴールのはっきりしない反復練習が繰り返される。

そこでは日越大学のような恵まれた条件をもつ大学以外の場合、日本人(日本語ネイティブ)の教員やアシスタントが全然足りません。また、日本に長期滞在するベトナム人の数を考えれば、留学生や労働者の世話をする、交流するという仕事を地域や自治体で担う人材も、現状では二けた足りなくないでしょうか。そしてその仕事は、日本語のできるベトナム人(どの日本語レベルの?)に丸投げして済む仕事でしょうか。筆者の私見ですが、ベトナムに教えに行く、地域でベトナム人の世話をする、両方の目的で、日本側のべトナム語学習者を韓国・朝鮮語なみに増やす、そのためには日本中の大学で普通にベトナム語が習えるようにする政策や企業投資が必要だと考えます。

ただしその先にもネックがあります。対べトナム人に限りませんが、一般の日本人の大半が「日本語が自由自在に話せるレベルに達していない外国人にわかる日本語を話す」発想・能力をほとんどもたない(仕事や生活の話をする際には、それぞれの業界用語満載の日本語しか話せない)という問題も、きわめて深刻だからです。そう、ベトナム人の日本語が通じないのは、日本人側の日本語会話・表現の能力にも問題があるのです。

日本の国語教育は次回もお話しするように日本人の外国語学習を邪魔していますが、行政の現場などで使用が開始されている「やさしい日本語」どころか、外国人向け日本語教育の知識をまったくもたない国民が大半である状況についても、「国語」教育の責任は大きいと言わざるを得ません。コンビニで日本語で接客ができる留学生について、大学の授業も問題なく日本語で受けられると思い込む大学教員など、こっけいを通り越して悲惨です。一度高校の歴史とか政治経済の教科書を音読させてみなさい。日本留学経験のあるベトナム人の日本語教員でも、すらすらは読めませんよ(日本の普通の中学・高校に入った外国系子弟がつまづくのは一に国語、二に社会科)。

*戦前戦後に確立した「橋本文法」などにもとづく学校「国語」が、徹底した日本語ネイティブ専用の体系をつくってしまったため、高度成長期以降に日本語を学ぶ外国人が激増した際に全然使い物にならず、まったく別のシステムを試行錯誤して創り出したのが、現在日本語ネイティブでない学習者に教えられている日本語です。テキストなどは簡単に手に入りますから、一度眺めてみてください。それはたとえば、ベトナム難民とか中国残留孤児の引揚者なども対象として組み立てられたもので、基本的に(1)英語など説明用の「媒介言語」を使えない状況で、「直接法」で教えて、(2)短期間で日本で暮らしたり働いたりできるようにする、ということを主目的としていました。現在では、中国語ネイティブ、ベトナム語ネイティブ、タイ語ネイティブなどそれぞれの母語によって日本語のなにが易しくてなにが難しいかの研究が進んでおり、それぞれの話者用の教材なども作られています。なお日本語検定は、完全にこの日本語教育だけに合わせて設計されているわけではありません。

それとも関連しますが、現在は、日本語で歴史や文学の博士論文を書く外国人も珍しくありません。そうした場合に文語文を身に付けるには、実は橋本文法は便利だと言われます。現在の日本の大学では「アカデミックライティング」なども教えるとはいえ、基本の指導体制は高校までで日本語ネイティブとして身に付けた国語力のうえで、専門のゼミなどに出席して資料の読み方、論文の書き方を身に付けるというものですから、「日本語教育」しか受けていない非ネイティブがそこに入っていくのは、ちょっと敷居が高いところがあるんじゃないでしょうか。その意味で、「国語」と「日本語」のハイレベルな再統合が必要ではないか(もう学界ではやっている?)という印象を受けます。